哲学シリーズその1:土地のアイデンティティ・上
3月15日。藻岩山の頂上に立っていた。昨年末に骨折した足首がようやく筋力が回復しつつあったので、サポーターを巻いてリハビリがてら登ってみたのだった。
家から歩いた。うす曇りの空に雪がちらつく。平坦な町並みを淡々と歩き、ようやくたどり着いた登山口には、厚い雪の間にかろうじて踏み跡が残っていた。
雪原を走るように、白い風が吹き上がってくる。きしむ足首をだましだまし、山肌の禿げた賑やかなスキー場斜面を横目にみながら林を渡る。まもなく視界が開け、三角点が現れた。その隣の展望台に登り、そして見えたのは無限の平野だった。
雪が染め上げる無限の平野は、無数の建物が生え、無数の道が網目状に伸び、無数の人間が生きている平野だった。
冬はとても質素、言い換えれば単調、同時に、厳粛な色を感じさせる。雪のせいで少し膨らんだような沈黙をかみ締めながら見たその景色は、何も語らない。しかしその無音の中に、俺は見えるべき姿を超えるものを、見た気がした。そして想った。広がっていたのは、限りない森林だった。
藻岩山は標高531m、アイヌ人には「インカルシペ」と呼ばれ、その訳は「いつもそこに上って見張りをするところ」。名前の通り、人々からは、神聖であると同時に物見のための山として古くから親しまれてきた。
その昔、アイヌたちは山の頂から広大な景色を見渡していたのだろう。そしてそのもっと前から、藻岩山はこの景色を眺め続けてきたのだろう。
北海道開拓時代の苦労話は有名だ。北海道大学の植物園は、故・新渡戸稲造氏が、開拓者の努力を忘れさせないために原始林の一部を残すよう命じたものだと言われている。
明治時代以降、和人が次々と移住し開拓が進められる以前の北海道はまさに森林の島であったと言われ、この石狩平野もまた、湿原と森林がほとんどを覆っていた。
例えば、入植した人がこんな言葉を残している。
「案内により番号順に小屋に入る。笹萱で人口が良くわからないくらいに樹木が密生し、天も見えず、人声もしない。小屋のなかには笹が生えており便所も灯火もない。夫婦茫然として泣くよりほかなし」
その大自然は、大都市に置き換わった。その変容を、藻岩山はずっと眺め続けていたのだろう。
時間軸をたどれば、ここからは広大な原野、森林を見渡していたはずだ。そう思いながら、俺は街並みに想像を重ねていたのだった。
しかし、単なる想像ではないある種の感覚も確かにあった。そしてひとつの疑問が不意に頭を駆け抜けた。
土地がその土地である条件とは何なのか---
無論不要な問いである。実際問われることはないし、問われたところで、解答することすら無意味かもしれない。
ただ、地面だけでなく、空間を含めた「土地」に、アイデンティティを与えるのだとしたら・・・。
人間の利害を離れた次元で、より人間的な意図にまみれた思想で自然界について考えるようになったのはいつからだろう。なお、以上も以下も俺の頭の中の世界での話である。
潜在的な森林の中を歩いていると感じ、妙に納得してしまった。6月下旬、札幌岳を目指し夜明け前の札幌市を一人歩いていたときの話だ。
言葉が人間の思考に大変重要であるというのは疑いようがないことで、そのときの確信は、まさにふと浮かんだ「潜在自然植生」という言葉から得たものだった。
潜在自然植生とは、簡単に言えば、人間の干渉が無かったとしたら・・・と仮定した場合に予想される植生のことだ。
その土地にはその土地に合った樹種がある。潜在自然植生に基づいた自然保護を行うべきだ、として横浜国立大の宮脇昭氏が普及に貢献している概念である。
里山の肯定的な考え方などとは対立するため一概に賛同することはできないが、この概念に基づけば様々なことを論ずることができるのは事実だ。
たとえば高校生物で習った日本の植生とかでもそうだが、日本において潜在自然植生を考える時には大体が樹林帯の種類の話になる。
常緑広葉樹林とか、夏緑広葉樹林帯とか、さらに細かくは、チシマザサ-ブナ群団だの、カシ林域だのと、そこに多く占める植物で区分けされる。
しかし、それが極度の乾燥地帯だったり、極寒の地域だったりするとそうはいかない。自然状態でも森林が成立しないかもしれないからだ。
気候の二大要素は気温と降水量だが、うち日本の植生を特徴付けているのはだいたい気温だといわれている。但しこれも、やはり森林の成立を前提としての話である。
つまるところが、日本の降水量はどこであっても遷移の究極段階「森林」を成立させるには十分であるということであり、あとは気温その他の条件が林分の状態を左右し、現実には湿原やもろもろの植生を形成させる。
しかし、その気温さえも極端な地域(亜高山帯など)を除けば森林の成立そのものには影響しない。どのみちやはり、気候から言えば、日本はほぼどこにでも森林が成立しうるのだ。
だいぶ遠回りをしたが、当然北海道にも森林が十分成立する。事実、成立していた。そして、成立するだろう。
100年余りの間にすっかりその面影をなくした街並みも、潜在的な森林なのだ。
「あなたは誰だ」と聞かれたときのように「この土地は何だ」と聞かれたならば、俺が出す答えはきっといつかここにたどり着く。
家から歩いた。うす曇りの空に雪がちらつく。平坦な町並みを淡々と歩き、ようやくたどり着いた登山口には、厚い雪の間にかろうじて踏み跡が残っていた。
雪原を走るように、白い風が吹き上がってくる。きしむ足首をだましだまし、山肌の禿げた賑やかなスキー場斜面を横目にみながら林を渡る。まもなく視界が開け、三角点が現れた。その隣の展望台に登り、そして見えたのは無限の平野だった。
雪が染め上げる無限の平野は、無数の建物が生え、無数の道が網目状に伸び、無数の人間が生きている平野だった。
冬はとても質素、言い換えれば単調、同時に、厳粛な色を感じさせる。雪のせいで少し膨らんだような沈黙をかみ締めながら見たその景色は、何も語らない。しかしその無音の中に、俺は見えるべき姿を超えるものを、見た気がした。そして想った。広がっていたのは、限りない森林だった。
藻岩山は標高531m、アイヌ人には「インカルシペ」と呼ばれ、その訳は「いつもそこに上って見張りをするところ」。名前の通り、人々からは、神聖であると同時に物見のための山として古くから親しまれてきた。
その昔、アイヌたちは山の頂から広大な景色を見渡していたのだろう。そしてそのもっと前から、藻岩山はこの景色を眺め続けてきたのだろう。
北海道開拓時代の苦労話は有名だ。北海道大学の植物園は、故・新渡戸稲造氏が、開拓者の努力を忘れさせないために原始林の一部を残すよう命じたものだと言われている。
明治時代以降、和人が次々と移住し開拓が進められる以前の北海道はまさに森林の島であったと言われ、この石狩平野もまた、湿原と森林がほとんどを覆っていた。
例えば、入植した人がこんな言葉を残している。
「案内により番号順に小屋に入る。笹萱で人口が良くわからないくらいに樹木が密生し、天も見えず、人声もしない。小屋のなかには笹が生えており便所も灯火もない。夫婦茫然として泣くよりほかなし」
その大自然は、大都市に置き換わった。その変容を、藻岩山はずっと眺め続けていたのだろう。
時間軸をたどれば、ここからは広大な原野、森林を見渡していたはずだ。そう思いながら、俺は街並みに想像を重ねていたのだった。
しかし、単なる想像ではないある種の感覚も確かにあった。そしてひとつの疑問が不意に頭を駆け抜けた。
土地がその土地である条件とは何なのか---
無論不要な問いである。実際問われることはないし、問われたところで、解答することすら無意味かもしれない。
ただ、地面だけでなく、空間を含めた「土地」に、アイデンティティを与えるのだとしたら・・・。
人間の利害を離れた次元で、より人間的な意図にまみれた思想で自然界について考えるようになったのはいつからだろう。なお、以上も以下も俺の頭の中の世界での話である。
潜在的な森林の中を歩いていると感じ、妙に納得してしまった。6月下旬、札幌岳を目指し夜明け前の札幌市を一人歩いていたときの話だ。
言葉が人間の思考に大変重要であるというのは疑いようがないことで、そのときの確信は、まさにふと浮かんだ「潜在自然植生」という言葉から得たものだった。
潜在自然植生とは、簡単に言えば、人間の干渉が無かったとしたら・・・と仮定した場合に予想される植生のことだ。
その土地にはその土地に合った樹種がある。潜在自然植生に基づいた自然保護を行うべきだ、として横浜国立大の宮脇昭氏が普及に貢献している概念である。
里山の肯定的な考え方などとは対立するため一概に賛同することはできないが、この概念に基づけば様々なことを論ずることができるのは事実だ。
たとえば高校生物で習った日本の植生とかでもそうだが、日本において潜在自然植生を考える時には大体が樹林帯の種類の話になる。
常緑広葉樹林とか、夏緑広葉樹林帯とか、さらに細かくは、チシマザサ-ブナ群団だの、カシ林域だのと、そこに多く占める植物で区分けされる。
しかし、それが極度の乾燥地帯だったり、極寒の地域だったりするとそうはいかない。自然状態でも森林が成立しないかもしれないからだ。
気候の二大要素は気温と降水量だが、うち日本の植生を特徴付けているのはだいたい気温だといわれている。但しこれも、やはり森林の成立を前提としての話である。
つまるところが、日本の降水量はどこであっても遷移の究極段階「森林」を成立させるには十分であるということであり、あとは気温その他の条件が林分の状態を左右し、現実には湿原やもろもろの植生を形成させる。
しかし、その気温さえも極端な地域(亜高山帯など)を除けば森林の成立そのものには影響しない。どのみちやはり、気候から言えば、日本はほぼどこにでも森林が成立しうるのだ。
だいぶ遠回りをしたが、当然北海道にも森林が十分成立する。事実、成立していた。そして、成立するだろう。
100年余りの間にすっかりその面影をなくした街並みも、潜在的な森林なのだ。
「あなたは誰だ」と聞かれたときのように「この土地は何だ」と聞かれたならば、俺が出す答えはきっといつかここにたどり着く。