哲学シリーズ1:土地のアイデンティティ・下

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羊蹄山を徒歩で上り詰める計画は、残念ながら達成には至っていない。

雨の中、豆を潰しながら中山峠を越えた。青看板の20kmという表示は既に近いと思えた。支笏と無意根間の緑の回廊を抜け、畑に出た。ちらほらと民家が現れる。ついに登山口の一つがある町、真狩に着いたことを示す看板が現れた。

しかし、ここからが長かった。街の中の道を歩き始めて一気に疲労が襲ってきた。市街地を抜けるとようやく立派な蝦夷富士の山容が望まれたが、これがまた歩けど歩けど近づかない。

鹿撃ちの銃声にびくびくしながら歩いているうちに暗くなってしまった。現在地がわからない。道なりに進んで、残り10kmは切ったところだとは思ったが、そんなに歩けるかと思って泣きたくなった。分かれ道に出会う。ついに途方にくれた。

人気はなく、雨をしのぐ場所もないからここで泊まることもできない。しかたなしに数分に一本ライトを光らせてやってくる車の一台に止まってもらい、道を聞いた。するとそのおじさんが親切に乗せてくれると言った。そう、そこで俺はつい車に乗せてもらってしまったのだ。親切に感謝はし尽くせないが、80kmほど歩いて最後の数kmを車に甘えてしまったのだった。

そうして翌日は最悪のコンディション(笑)。中学生のクラス登山に抜きつ抜かれつ必死になって登った。登頂は、成功した。

1898mの山頂からは雲の切れ間から洞爺湖が見えた。広大な畑が見えた。遠く札幌方面を見やる。ここに生きている、そう思った。



この街にも潜在的に森林は存在する。その上に圧力をかけて成立しているのが今の街である。多角的なアプローチの一つとして、この考えは間違っていないと思う。

そして、我々はここに生きている。実質的には、それを前提とした「生き方」が問われているのだろう。



あらたな話題を付け加えてひとまずこの長い文章を締めくくりたいと思う。

日本は森林の国だというが、現代社会の中で我々は森林をどれだけ身近な存在として捉えているだろうか。

決して人手の加わらない森林しかなかったのではない。身近な存在としての森林に、我々の文化は支えられたのだ。だが今は、そのような「自然」と我々が分離されている傾向が見られる。

意識として、我々は森林に生きているのである、という自覚が環境教育などにとても重要のような気がする。

そして現代の文化は、外来のものも多く、残念ながら古くから築いてきた文化が全て反映されているわけではない。

古人の知恵には見習うべき点が多々ある。また生態系は、そのネットワークが今の状態に至るまでどれだけの時間と変動を繰り返したことか。そんな見地からも、安定した文化、自然との調和は、ライフスタイルの時間的な深さは大切だと思う。

特に北海道には先住民族アイヌがいる。彼らに外部から来た我々和人はアイヌに比べればそれこそ「本来的でない存在」かもしれない。未だある問題は多いが、それも含めて、彼らとじっくり会話がしてみたいと、俺は思う。



言うなれば我々も生活する土地の一部である。そこでどう生きるのか。

どんな結論が導かれるのかはわからない。それでも、我々は歩く。歩いてきた。そして、歩くのだろう。


(執筆:ezolisu2323)