【雑想】自意識過剰と主体性

カーオーディオにカセットテープをセットしようとしていた時、運転していたU氏が唐突に口を開いた。

「わかった。これだよ、S君」

俺は何の事か分からなかった。U氏の調査の手伝いをした帰り、後部座席に座っている他の手伝い要員の要請で、4本目のBGMを流すためにU氏の私物からカセットテープを選んで、それをかけようとしていただけである。

「どうしたんですか」

俺は次の言葉にやや身構えながら聞いた。

「後ろから面白い音楽をかけてくれ、と言われ、君は今、それに従おうとしている。その中で、自分が取ろうとしている行動に、少しでも疑問を持たなかっただろうか」

俺はしばし考える。車の中で6時間も過ごすには、音楽でもかけていないとやっていけないという思いは誰にでもある。だから俺は彼の運転を邪魔しないように注意しながら、カセットテープをかけようとしている。それは当然U氏も了承済みのことだと思っている。
その行為については何かミスをしたとは思えない。
音楽をかけることは全体にとって良いことだ。なのにこの人は暗にヤメロと言っているのだろうか。

「よく意味がわかりません」

混乱した俺はカセットを握ったままそう答えた。
U氏は前を見据えたまま言葉を選んでいる。

「S君は音楽をかけろと命令する後ろの発言を、おかしいと感じたりせずに、ただ手を動かしているだけだったのか?という質問なんだが、他でもいい。君は助手席に座っている身として、自分の身やその周りに対して、おかしい事をしている、などとは今まで少しも感じなかったんだろうか」

それは……、と、何が言いたいのか何となくわかった俺は、若干のバツの悪さに軽く言いよどんだ。

「助手席に座る身は、運転を続けている人に対して特に気を使うべきなのに……少し、寝てしまいました」

しかしU氏はこう言う。

「それもそうだが、君が寝ていたのに後ろの席の席の人が注意しなかったり、好き勝手なことをしていることも、変だとは思わないのか」

それは、俺との会話を介した、U氏なりの調査員全体への説教だった。
今回の調査の手伝いは、そこまで大きな仕事はなかった。だから顔なじみのU氏ならば、ということで、U氏の後輩に当たる我々は、とても軽い気持ちで参加し、俺も精神的に疲れていたこともあって気合の類は散漫だった。もちろん我々は、いつもこんなに態度がひどいわけではない。
しかし、その態度の悪さをU氏は指摘したかったのだろう。
そして、後ろで勝手に曲の批評を始める彼らに何も注意せずに、ひたすらカセットテープを用意する俺に、話を切り出すきっかけを見つけたのだ。
礼儀をきちんと考えなさい。調査をなんだと思っているんだ。
そんな感じの説教が、会話の形で繰り広げられ、バツが悪くて言葉が出てこない俺の沈黙の中を、街灯の光が淡々と流れていく。

ただし、俺はU氏の説教の中に、大きな別の意味を感じていた。それは俺がU氏から昼間にも示唆を受けていたことによる。

数ヶ月前にも俺は調査の手伝いをしに行き、その時はU氏と一緒に山を歩いた。俺は先頭で地形図を読みながら進まされたのだが、然るべきところで地形図を開いて唸ってみても、それがどうして地形図を開くべき場所なのかがちゃんとわかっていないように見えていたと、U氏は言った。
グループで山を歩く調査では、地形図を読み進むことはリーダーであることの必要条件だ。だからうまく地形図が読めなかったあの日、俺は自分の未熟さに落ち込んだ。
しかしさらにそれよりも、リーダーにとって必要なことがある。とU氏は続けて言う。
自分が調査をするときに、手伝ってくれる人にその都度具体的に指示を出し、それぞれが機械的に動いてくれる分には何も困りはしない。しかし、自分が人の調査を手伝おうとしたときに、その調査が何をするものなのか、どのような方法論か、どのような日程なのかを事前に考えておかないというのは、リーダーなどでなくとも、ある程度上の立場にいる人間がとる行動としては考えられない、と。

どれも俺にとってはほぼ図星のことだった。地形図は経験不足もあるが、地勢がどういう流れを持っているのかを足元からきちんと捉えることができず、わからなければ、自分の目が確かめた地形の特徴よりも、見守るU氏の視線が気になって仕方がなかった。
調査に行くこと自体も、俺はただ山の中を何かしらの形で歩きたくて、他のことはあまり考えずに言われるがままに動いた、実質ただの傭兵も同然の存在だった。

一貫して、俺は自分の頭で物を考える力が不足していることを暗に指摘されていたのである。
少なくとも、俺は自分の決定的な短所をそこに見出してしまった。
決して思考が足りないわけではない。どちらかと言えば考えすぎる方だとも思っていたくらいだ。
しかし、それは今回の調査の飲み会のときに既に、自意識過剰の結果なのだと指摘されていた。自分勝手に悩んで、自分で問題をつくっている。それは自らの存在や周囲との関係をよしクリアにするものではなく、先回りして考えて自分を擁護しているに過ぎないのである。
ここでいう「自分の頭で考える」というのは、そういう意味じゃない。自分は今何をしていて、それはどうしてで、周りにはどんな人がいて、最善策はなんなのか……全ての責任、行動動機、判断の基礎を、俺は自意識以前に備えていただろうか。

つまりは考え方が大きく筋から逸れていたのだ。致命的に、主体性が欠落している。

説教が終わっても結局その後、札幌に帰るまで再び音楽が流れることはなかった。
後ろに座っていた人がU氏と気まずい沈黙を破って話を始め、俺はただ黙っていた。
俺はどうするべきなのか。どうしてそれを悩んでいるのか。それは本当に悩むに足るものなのか。それはどういった点が悩みなのか。その理由はどういった点で影響を及ぼすのか。良い影響はあるのか。ほかに悪い影響はないのか。その特徴はどこが改善可能か。最も良い策は何か。そして俺はこれからどうすべきか。
自虐的でも、俺は考えないわけにはいかなかった。